トレーナーへの道!!vol.1

Pocket

今、私はトレーナーとして、プロスポーツチームで働いて、5年以上になりました。

今までに理学療法士やトレーナーを目指している学生さんや現役理学療法士の方から、話を聞かせてほしいという連絡が何度かありました。

自分のこれまでの軌跡を振り返る意味でも、何回かに分けてどのようにして、現在のプロスポーツチームで働くようになったかを紹介できればと思います。

トレーナーの道を目指すようになったきっかけ

まず、はじめに私は兄がサッカーをやっていた影響で小学生の頃からサッカーをずっとやっていました。

小学校、中学校、高校、大学、社会人になって数年の間はサッカーを続けていました。

プロサッカー選手にはなれないにしろ、何かしらサッカーをはじめとしたスポーツに関わるような仕事をしたいなぁ、というのはずっと自分の中にありました。

そして、中学校3年生のときに腰を痛め、腰椎分離症と診断されたのです。ちょうど中学校のサッカーを引退する時期だったかと思います。

このことをきっかけにトレーナーの道へと徐々に進んでいきました。

恩師との出会い

ちょうど腰を痛めたときに同じサッカー部のお父さんの紹介で、最近地元で開業した整骨院の先生が以前、プロ野球の中日に関わっていたという話を聞き、その整骨院に通うことになりました。その整骨院の先生との出会いが、今の道を志すきっかけとなったのです。

それまでの整骨院のイメージは、電気やマッサージ、テーピングで治療してもらうというものでした。実際、小学生の時に成長痛で踵が痛くなって通った整骨院で踵からふくらはぎにかけてテーピングをしてもらった記憶があります。

しかし、中学3年生のときに通った整骨院の先生はもちろん、電気やストレッチ、マッサージをやってくれるのですが、それだけでなく、エクササイズをすることを教えてくれたのです。

その時は腰椎分離症だったので、主に体幹のトレーニングとストレッチを指導してもらったと思います。

治療してもらう、だけでなく、自分でケアしてエクササイズしてそもそもの原因に対してアプローチしてくれました。

さらに、その先生は常に勉強をされていて、毎月と言っていいほど、地方からセミナーや勉強会に出かけて行っては、新しい知識や技術を取り入れていました。

その整骨院に通ううちに、このような形でスポーツに関わる仕事があるということを知りました。

私が興味がありそうだったので、先生もいろいろなことを教えてくれて、ぼんやりとですが、トレーナーという職業に惹かれていった気がします。

恩師からのアドバイス

中学3年生から通い始め、高校生のときも定期的にその先生のもとへ通い、治療やエクササイズを教えてもらい、おかげで腰痛の再発はありませんでした。結局、腰椎分離症は治療の開始が遅かったこともあり、癒合することはなく、片方が完全に分離し、もう片方は分離しかけた状態で今に至ります。しかし、ストレッチや体幹トレーニングを続けたことで、腰痛が原因でサッカーを休むことはありませんでした。

そんな中、高校も卒業が近づき、進路について考えていた時に、その先生とも相談する中で、その先生と同じ柔道整復師という資格を取ることも視野の一つとして考えていました。しかし、その先生からアドバイスされたことは、「今からは理学療法士の資格を取った方がいい」というものでした。

今思えば、柔道整復師の先生が理学療法士になった方がいいと勧めるとは、とても視野が広く、すごいことです。

その先生が、理学療法士の先生とも親交があり、大学進学のときや就職のときも理学療法士の先生を紹介していただき、受験先や就職先を決めることができました。受験のときは、私のセンター試験の点数が足りなかったこともあり、紹介していただいた先生がいる大学には行けませんでしたが、就職の際には非常にお世話になりました。

結局、地方の国立大学で理学療法の勉強をして、国家試験を受験し、理学療法士の資格を取ることができました。

就職先の選択

大学で理学療法の勉強をして、就職先を決めるにあたって、前述の通り、恩師の知り合いの理学療法士の先生に相談したところ、その先生も大御所だったのですが、さらに別の大御所の先生を紹介していただき、比較的すんなりと就職先が決まりました。

その病院は中規模の総合病院で、スポーツ整形があるわけではなく、いわゆる一般的な総合病院でした。ただ、その病院にいる先輩理学療法士の先生方は甲子園の高校球児をサポートする会に入って、高校野球をサポートする活動を積極的に行っていました。

私も先輩にならって、高校野球のサポートを仕事とは別に行い、スポーツにちょっとだけ関わる程度の活動をしていました。

ただ、大学卒業後で病院で患者さん相手に、業務を一人前にこなすことに精一杯だったことも事実です。毎月1回は担当が回ってくる症例検討の準備や日々の振り返り、そもそも業務を終わらせるのに夜遅くまで仕事していた気がします。

そこでがむしゃらに一人前になりたいと頑張った日々は、今でも選手や患者さんを相手にするときの基礎になっています。

その時は大変でしたが、今思えば先輩方に鍛えてもらったと感謝しています。その経験があったからこそ、その後大学院に進学した際に生活費や学費をある程度カバーできる程度のお金も非常勤で稼ぐことができました。

スポーツ医学を学びたい

就職する際に病院を紹介してくれた先生から、すぐにスポーツに関わることもいいが、まずは医療に慣れなさい、というアドバイスにしたがって病院での仕事や院外で高校野球のサポート活動を続けました。

1,2年目は病院の業務を中心に頑張りました。3年目になると少し仕事にも慣れ、部署も変わったこともあり、いろいろと考えることも増えてきます。

そんな中、もっとスポーツ医学について学びたいと考えるようになりました。

理由としては、高校野球のサポートをしていて、大学でスポーツ医学についてはかじった程度で、中途半端な知識と技術であることを痛感していたのと、やっぱり自分はサッカーに関わりたいという思いもずっとありました。

そこで、大学院で日本体育協会公認のアスレティックトレーナーの受験資格が取れるところ、さらにサッカーに関わっている先生のところを探し、進学することを決めたのです。

ちょっと長くなってきたので、いったん区切りたいと思います。次回は大学院進学後からまとめたいと思います。

お読みいただき、ありがとうございました!

コメント

タイトルとURLをコピーしました